あしながおじさんの育児休業ブログ

とある平凡なサラリーマン新米パパ(東京都調布市在住)の育児休業体験の記録です。これから育休を取ろうと思っている男性はもちろん、奥さんの参考になれば嬉しいです。

1か月目の自信、2か月目の行き詰まり(後編)

 

こんにちわ。

 

さて、我が子も生後2ヶ月を過ぎい、私も育児休業取得から約2ヶ月経過しました。ようやく、育休ブログっぽいことも書けそうな気がします。

 

ここで、この2ヶ月の変化を軸にして、前後編に分けて正直に振り返ってみようと思います。

 

今回は後編、2か月目のお話です。

 

『役に立てた』1ヶ月、『行き詰まる』2ヶ月目(後編)

 

さて、前回は育児休業1ヶ月目の事を振り返りました。そして、2ヶ月目も終わりにさしかかっていますが、概ね順調に進んだ1ヶ月目と違って、どうにも機嫌が悪い日が多かった。イライラ、不安、空虚感と言ったマイナスの感情が湧いて、失速感のあった1ヶ月間でした。

 

この嫌な感じはどこからくるのか、出来るだけ正直かつ冷静に考えてみました。

 

今回は感情的なことも多いし、何より自分のダメさを晒すようで、何度も記事を書き直して色々と悩みました。読む方によっては、『はぁ?』となるかもしれませんが、まぁ最後まで読んでやってください。

 

 

『日常』化する育児

 

誤解を恐れずにあえて過激な言葉を使うと、私はどこか『つまらなさ』を感じていたように思います。

 

最初のひと月は、新しい家族を家庭に迎えた嬉しさや、育児休業によって数年ぶりに仕事から離れたという『非日常』の中に育児がありました。

 

旅行や夏祭り、あるいは学生時代の文化祭などの『非日常』のイベントは楽しいものです。でも、最初はあんなに感動した南の海の美しさも、長い滞在だと普通に見えてくるし、どんなに楽しい盆踊りも、ずっと踊り続けることは難しいのです。

 

育児と盆踊りを比べるとは何事か!

 

と怒られそうですが、振り返ってみると、出産やら、はじめての沐浴やら、オムツやら何やら、たしかに最初の1ヶ月は『非日常』の連続で刺激的な体験だったのです。

それが、ある程度日数もたち、『日常』となることで、毎日同じ事を延々と繰り返しているだけの日々になってしまい、『つまらない』と思ってしまったのだろうと思います。

 

以前、おっぱいの記事で、自分が育児休業でやっているのは、殆ど家事であることに失望して、旦那に出来るのは『家事休業』だと書いたことがあります。

その時にも言いましたが、結局のところ、『育児は日常』というのが真実なんですよね。あるいは、みやぞんも真っ青の『20年続くウルトラマラソンと言い換えてもいいかもしれません。

 

ただ、『同じ事を延々と繰り返すつまらない日々』というのは誤った捉え方なんだろうと思います。ラソンでも、少しずつ景色は変わっていきます。赤ちゃんも、少しずつ確実に成長していっていますし、子どもがいるおかげで、それこそ会社と家の往復という無限ループを忘れられるイベントや経験もできるはずですから。

 

その事を分かって、小さなことでも喜べる、気を長く持つ、そんな風に認識を新たにする必要があるのかもしれません。この先も、育児は20年続くんですしね。

 

『余裕』が生み出す不安感

 

もうひとつ、これも誤解を恐れずにわかりやすい言葉で言うと、『暇』と思ってしまったのです。

 

育児が暇だと!?ふざけるな!!

 

と、全国の育児中の方々から非難を浴びること確実な感想です。

 

確かに毎日が一瞬で過ぎていくし、寝る時にはクタクタになってはいます。育児が楽で暇なんて事はないです。そういう事を言いたいのではありません。

 

家事にせよ育児にせよ、少しずつ要領が良くなってきて、1時間かかった事が30分で出来るようになったり、赤ちゃんも成長してある程度まとまって寝てくれるようになりました。妻の体力も回復してきて、家事をやってくれます。そうすると、ふとした瞬間、わずかではありますが、時間が生まれてくるのです。

 

そうなると、2つの気持ちが去来します。

 

『あれ?なんか変に手持ち無沙汰だぞ?俺、なんかサボってないよな?サボってると思われないよな?』

 

『この無駄な時間を有効活用しないといけないんじゃないか??』

 

まず前者ですが、繰り返し申し上げている通り、私が育休中に最も恐れているのは、妻に『邪魔』と思われる事です。会社には大見得切って半年の時間を貰っています、もう戻れません。その上、育休をクビになり家まで追い出されたら、リアルに社会的な居場所を失います。サラリーマンでもなく、家庭人でもない、ホントのフラリーマンになってしまいます。

 

この恐るべき事態を避けるため、日々取り組んでいるはずなのに、ボーッとしている時間が迂闊にも出来てしまうのです。こんな暇そうな顔を妻に見られたら、、。でも、やる事はやっているつもり*1なので、何をやって忙しくすれば良いのか分からず、得体の知れない焦燥感に囚われるのです。とにかく何かやらなきゃと。これは会社にいるときと同じですね。忙しくしてれば仕事した気になるサラリーマン特有のクセかもしれません。

 

そんな時に、やり忘れていたこととか至らない点を妻から指摘されたり、要領よく家事ができないと、まさに『図星』なことが起きてしまうわけで、情けなくなったり、イライラしたりもするのです。*2

 

ある日の朝、妻と子どもが寝ている間に、良かれと思って家事をしていたのですが、『静かにして欲しい』と言われた事があります。この時は大いにヘコみました。私はやった気になりますが、せっかく寝ている妻と子どもの事を考えてない証拠ですからね。焦りから独善的になってしまったいい例です。

 

次に後者。サラリーマンたるもの、時は金なりです。いついかなる時にビジネスチャンスがあるか分かりません。競争の時代、自己研鑽にも余念なく取り組まねばなりません。*3

そんなサラリーマンの良心みたいなものが感覚が私のような平凡なサラリーマンにもやっぱりまだ抜け切らずにあって、空いた時間を『有効に』活用しなければと言う強迫観念が無意識に出てきたのです。*4

 

ネットなんかにも、『育児でキャリア形成を諦めない』的な記事がよーくあるんですよね。育児中のママがセミナーに通ったり資格取得目指したり。それを見ていると、『ヤベー、取り残される。』往生際の悪いこと考え出すのです。

 

でも、時間ができると言っても、まだ2ヶ月の赤ん坊です。1時間確保できればいいほうですし、目は離せないので勉強や仕事っぽい集中系の作業はできませんでした。やれることといえば、片手でできるネットサーフィンです。結果、できることを見出せずに、こちらも焦燥感に囚われることになります。

 

苦し紛れに、私はとりあえず、暇と感じたら『赤ちゃんとベタベタする、寝てる時はじっくり観察する』ようにし始めました。

そもそも育児休業『育児に専念する』ための休業です。私は休業が終わればこの子と過ごす時間は貴重なものになります。意識的に抱っこしたり、話しかけたり、まだまだリアクションがそんなに無い月齢で、虚しくなる時もまぁありますが、そういう事が子どもの成長を促す意味でも大切な事なんだろうと思います。

 

家事休業、といじけずに、育児も楽しんでやる、と原点に戻る感じです。育児の楽しみ方、先輩ママを真似してみたいと思います。

  

『赤ちゃん』時間とのズレ

 

これも、自分の器の小ささを晒け出すようですが、赤ちゃんのタイミングと自分のタイミングが合わなくてイライラしてしまうこともありました。

 

テレビで、児童虐待のニュースを見て、子どもにイライラするなんて、大人のする事じゃないよなー、とか思ってましたが、ごめん、正直に言えば、ちょっとイライラした事もあります。みんな、そういう経験ありますよね?え、ない??・・嘘だと言ってよ、先輩。*5

 

1か月経つと、生活のルーティーンもなんとなく出来てきて、例えば10時に洗濯機を回して、12時にはお昼を作って、というような時間のルーティーンや、こうすれば寝かしつけられる、といったような方法論のルーティーンも出来てきました。でも、赤ちゃんには赤ちゃんの都合もあって、こうした『大人』が勝手に決めた事は容易に崩れてしまいます。

 

そんな思い通りにいかない時、イラッとしてしまう瞬間が確かにあるのです。

 

実際にあった例ですが、大体いつも夜6時位に食事の用意が出来ます。ある日、さぁ食べようとすると赤ちゃんが泣いて、妻が授乳タイムに入ったのです。これが最初に赤ちゃんと自分のタイミングが合わなくてイライラした時でした。

 

まだ育休を取り始めたばかりの私は、やる気満々で献立を考えたり、妻の好きなもの、栄養のあるものを作るぞと一所懸命でした。やっぱり、温かいうちに食べて欲しかった、そして、アホかと思われるでしょうが、『美味しいね』と言って欲しかったのです。

 

赤ちゃんがこちらの都合に合わせてくれるワケはないし、授乳してる妻に微塵の落ち度も無いのです。自分で書いてても呆れるほど、小学生の子どもレベルの私の自己中心的な姿勢がモロに出た例です。『お母さん!自分でできたよ!褒めて!』的な。あー、恥ずかしい、、。

 

これは私の中ではルール違反の感情でした。育休を取得するにあたって、『育休は妻や子どもの為ではなく、自分の為に取る。だから不平不満があったとしても、妻や子どもに責任転嫁しない。』みたいなルールを立てたのです。それに明確に違反する行為ですね、自己中心的な思いから、妻と子どもに負の感情が向いてしまった。

 

『ゆっくり待つ育児』と言う特集がクーヨンという雑誌に掲載されていた事を思い出しました。詳しく読んだワケでは無いのですが、大人は時間の経過に焦りを感じるけど、子どもはゆっくり成長する。大人の育児の困り事は、たいてい子どもの時間の流れ方に合わせると解決する、そんな話だった気がします。

 

まぁ確かにそうです。つい、『はやく◯◯できるようにならないかな』とか思うし、同じ位の月齢の赤ちゃんと比べてしまったりします。でも、成長のスピードにせよ、日常の生活リズムにせよ、個性もあるし、機嫌だってあるでしょう、何より親は子どもをコントロールするのではなくて、赤ちゃん自身が学んでいって、自分自身でやれるようにサポートする立場のはずですよね。

 

じっくり待ってやれる気持ちの余裕が必要なんでしょうね。子育てを通じて、どっしりと構えて余裕を持って待ってやれる親になれるように、私も成長できるといいのですが。

 

男だって悩む

 

今回、私は『余裕』や『慣れ』が気持ちの余裕を失わせると言う皮肉な結果を経験しました。しかも、この余裕の無さが自分の嫌な所を浮き彫りにして、それと向き合ってしまった、そんな2ヶ月目だったように思います。

 

プライドが高くて自己中心的なのに、豆腐メンタルで注意散漫、飽き性で、、(以下略。勘弁してください笑)

 

こういう内省的な感情は、認知の歪みも生み出します。『自分はちゃんと父親を出来ないんじゃないか』とか、『妻はきっと邪魔だと思ってるだろうな』とかとか。*6

 

客観的にみて、マイナスな事ばかりではないはずなのです。家事にせよ、育児にせよ、出来る事は確実に増えているし、子どもの日々変わって行く姿を見ることが出来ている

 

よく、新米ママが『自信を持てない』とか『自信を失った』と言いますが、私も種類は違うのかもしれないけど、同じ様な気持ちになりました。でも、変なんですよ、それは。

 

そもそも、新米に失う自信など元々ありはしないのです。何故なら、今、まさに新米として色んな事を悩んだり経験したりして、自信を積み重ねている所だからです。これからなんですよ。

 

もうひとつ、一般的に、『育児に悩む妻は無理解な夫に我慢する』という構図が語られる事がありますが、私はこれに疑問符があります。

 

男性であっても、しっかり育児と向き合おうとしてる人は、大なり小なり悩んだり葛藤したりしてるんじゃないでしょうか。それが女性とは違った形、あるいは別の視点だから、表に出難いのかも。仮説ですけどね。

 

男だってウジウジ悩む人もいるって事が伝われば良いかなと思います。

 

では、また次回。

 

 

 

 

 

*1:『つもり』というのは結構厄介なシロモノ。大抵の場合、何か抜け落ちていたり、そうでなくても不安感が強い時に出る言葉です。

*2:大人が機嫌が悪くなったり、怒る時は大抵、『相手に正論を言われた』とか、『図星なことを指摘される』という事だと思います。正論は攻撃力が高いので、防御力(素直に受け取る力とか受け流す力)が弱いと大ダメージになります。悲しいことに、歳を重ねるごとに素直に受け取れない大人ってのになってしまってますね。

*3:私の場合はもっぱらネットサーフィンですけど。だから平凡なんです。

*4:平常時にこの立派な精神が発揮されれば、私は今頃エリートサラリーマン。

*5:元ネタは、某ガンダムのタイトル『嘘だと言ってよバーニィ』。アレックスかっこいいですよね。

*6:メンタルヘルスで使われる用語で認知バイアスとも。思考パターンの特徴で、現実や事実を非合理的・非論理的に捉えてしまうこと。完璧主義、一般化のしすぎ、すべき思考、心の読みすぎ、拡大解釈、過小評価等をしがちな人はこの思考パターンに陥る。私自身もこうした思考パターンになりがちだが、ホルモンバランスを崩すタイミングの女性もそうではないかと思う。