あしながおじさんの育児休業ブログ

とある平凡なサラリーマン新米パパ(東京都調布市在住)の育児休業体験の記録です。これから育休を取ろうと思っている男性はもちろん、奥さんの参考になれば嬉しいです。

育児休業の通信簿

お久しぶりです。

元・育休パパのあしながです。

 

2018年12月31日をもって、私の半年間の冒険は終わりました。すでに2ヶ月以上が経過しましたが、私の育休体験を振り返ろうとすると、色々な思いが溢れて纏まらず、これだけの時間がかかりました。

 

これが最終回です。ご笑覧下さい。

 

終わった時の正直な感想

 

実は、この育休が終わる年末年始は私の気持ちは暗かったです。育休を終えるに際して、いくつかのネガティブな感情がこみ上げて来たからです。

 

まず、こんなにもやりきった感が無いものか。また、もっとこうしておけば良かったという後悔も。そして何より、寂しい。

 

煮え切らない気持ちでいっぱいで、なんだか虚しくて情けない気持ちになってしまったというのが、育休を終えた直後の感想です。

 

とは言え、半年間の貴重な旅の記録をしっかり終わらせなければなりません。きっと誰かの役に立つ事もあると思います。

 

もし「育休とって良かったですか」と聞かれたら

 

少し悩んで「良かったですよ」と答えると思います。いい事ばかりでは無かった事は、過去のエントリでも紹介しました。

 

ですが、やはり子ども授かるという「幸運」に恵まれた1人の親として、半年という短い期間とはいえ成長を見届けられた事は何をおいても他にない幸せな経験である事に疑いの余地は無いと思います。

 

もし「育休取ろうと思うんですが」と相談されたら

 

生半可な気持ちじゃ挫折するよ、と言うと思います。

 

世間一般では、男性の育休取得が、育児出産や女性の社会進出等の社会問題に対する処方箋のように扱われてますし、ネットでもイクメン礼讃のニュースや記事が溢れています。

 

しかし、育休を取得したからと言って全てが上手くいく事はありません。私はうまくいかない事ばかりでした。

 

育休には、うまくいかなくても「それでも」と言い続けて育児や妻に真正面から向き合う覚悟が必ず必要だと思います。

 

それが無いまま育休生活に入ると、ネガティブな事ばかり感じて、生活が破綻する危険性すらあると思います。

 

育児は厳然たる現実なのであって、トレンドでもなければ、イクメンという社会的ファッションを着こなす事でも無いのは、特に警告したい所です。

 

もし「妻と息子に何か言うとしたら」

 

僕の「いい旦那でいたい」、「いいパパでありたい」というワガママに付き合ってくれてありがとうと言いたいです。

 

男性の育休取得は、旦那が自発的に、かつ自分のために取得すべきだと私は思います。

 

妻のためとか、会社が奨励してるから、とかそんな理由で取得してもうまくいかないと思います。

 

私のケースを振り返ってみても、色々カッコいい事言いましたが、結局は自分のワガママだったなと思います。でも、そうでなかったら、うまくいかない時に他人のせいにして続かなかっただろうし、それで良かったのだと思ってもいます。

 

先の話ではありませんが、生半可な覚悟では務まりません。良かれと思って取得しても、下手すると産後クライシスに直結する危険性すらあると思います。

 

従って、私は、某大企業がやっているような育休取得の義務化には基本的に反対です。

 

自分の人生、自分の家族の事です。どうしたいのか、会社や社会に言われなくても、自分で考えてみてはどうでしょうか。

 

もし私の育休に点数をつけるとしたら

 

100点満点で51点です。

 

私の育休取得の最大の目的は、「妻にモテたい」でしたが、ハッキリ言ってモテませんでした(笑)ので、合格には至りません。

 

過去のエントリでも書きましたが、育休期間中は、夫婦が長期間にわたって24時間一緒に生活するという「異常事態」でもあります。

 

普段の生活で見えなかったお互いの悪い所がホントによく見えてしまう。私の場合、不器用さとか自分勝手さ、承認欲求の強さがモロに露呈した半年間でしたので、妻は多分100回はムカついたと思います。

 

私も幾度となくイライラしました。正直に言えば、育休が終わってホッとした部分もあります。それは、妻も私も同じなんじゃ無いかな、と思います。

 

残念ながらモテはしませんでしたが、「いないよりいた方が良かった」事も多少はあると思いますし、育休取らなかったら今より何も出来なかったでしょうから、前向きに51点としたいと思います(苦笑)

 

繰り返しますが、育休を取るだけでは全ては解決しないのです。また、精一杯頑張ったつもりの私でも、51点という微妙な成果しか得られなかった事は皆さんにお伝えしたいポイントです。

 

育休は所詮は期間限定の休業です。ですが、育児は何年も休みなく続くわけで、たかだか半年で満足いく成果なんて出るわけないし、育休を取って満足するような男性はイクメンとは到底呼べないでしょう。

 

むしろ、私が本当に育児に理解ある旦那であるかどうかは、これから試されるのだと思います。

 

仕事復帰した後のこと

 

仕事復帰して約2ヶ月が経過しました。

 

ポジティブな面で言えば、特に仕事に大きなブランクは感じませんでした。まぁ細かい所で忘れてる事はありましたが、半月もすれば元どおりです。

 

また、職場からの理解も概ね得られています。復帰前に社内報的なもので育休体験談を書いたことで、私が直接知らない人からも、私が『先進的なイクメン』であると認識されるに至りました。

 

社内でも有名になったわけですし、何より半年も育休取って、終わったら知らぬフリは当然出来ませんので、ここからがホントの仕事と育児の両立というチャレンジになるわけです。

 

さて、実際のライフスタイルですが、今のところ時短などの制度は使わず、フルタイムで勤務しています。

 

定時は6時で、帰宅できるのは最速で7時。ただ、子どもは9時に寝かせたいので実際は良くてお風呂に入れる程度しか育児に参加できていません。

 

少しでも残業すると育児は何も出来なくなるので、定時になったら仕事を強制終了するように心に決めてはいます。

 

なので、仕事のスピード感は前にも増して高める必要に迫られているし、実際、これまで以上に脳みそフル回転でインテンシティ高めの仕事をしているつもりです。

 

ただ、感触としては、仕事も育児も中途半端になっている気がして、どうにも上手くやれてない気持ちになってます。

 

職場の期待にも、妻からの期待にも応えられていない、、、いや、自分が自分に期待するレベルで仕事も育児も出来てないというのが正しい表現ですかね。

 

また気持ちの切り替えも難しい。仕事してると子どもの事が気になるし、家に帰ると仕事の事を考えてしまう。精神的には常に何かに追われてる感覚になります。

 

体力的にも楽ではありません。仕事は定時だし、育児も9割が妻の負担という中で、一体自分が何に疲れてるのか分かりませんが、しっかり疲労感があります(笑)

 

何やってんだろ、俺。 という気持ちになります。

 

思った以上に仕事と育児の両立は難しいというのがホンネです。。過去のエントリでも書きましたが、ネットの記事で見るような『仕事も育児も両立してる素敵サラリーマン、キャリアウーマン』像は、そもそも私のような平凡な人間には当てはまらないのではないかと思います。

 

私のようなフツーのサラリーマンが仕事と育児を両立しようとすると、どこかで折り合いをつける、妥協する、諦める、そういうことを覚悟して初めて前進できる気がしています。

 

それが何かはまだ私には分かりませんが。。

 

イクメンが普通になる時代はいつか

 

少し大きな話を最後にさせてください。

 

この育休で痛いほど痛感したのは、育児に関する男女間の理不尽と言って差し支えない不平等です。

 

私が息子を抱っこして2人で買い物に行くと、知らない人から褒められました。

 

私が息子のうんちをふいて、オムツを替えたら近所のママたちに褒められました。

 

私がたった半年育休をとったら、会社の女性たちに賞賛されました。

 

褒められて悪い気はしませんでした。私の承認欲求は十分に満たされました。が、全部ママたちにとっては普通のことです。よくよく考えれば、おかしな話だと思います。

 

なぜ、ママがやって当然で、パパがやると褒められるのか。(育児してるパパが珍しいという理由は除いて。)

 

うまく説明は出来ないのですが、深層心理というか、刷り込まれた規範意識にある、「女は家庭、男は仕事」という固定観念が男性にも女性にも根深く存在しているんじゃないかなと感じてます。

 

この固定観念が崩れるのはいつになるんでしょうか。

 

今の世代はイクメン第一世代、あるいは第一次イクメンブームだとすると、あと1、2世代先にならないと本当の意味で育児における男女の平等は実現してこない気がしています。

 

だからこそ、今の私たちの世代のパパ達が、うまくいかなくても、育児にチャレンジして道を作る責任を果たしていく必要があるんじゃないでしょうか。ママ達もイクメン気取りのパパにムカつきながらも諦めない根気を持つ必要があるかもしれません。

 

自分たちの子どもや孫世代の子育てがもっと良くなれば、今の過渡期の苦労も報われるのかもしれませんね。

 

おわりに

 

このブログに感想をくれた皆さん、読んでくれた皆さん、そして実は熱心な読者だった妻にお礼を申し上げます。

 

ブログを書くのは思った以上に大変で、コメントをもらうたび励みになりましたし、皆んながどんな思いで育児してるのかも良く知ることが出来ました。

 

このブログはフツーのサラリーマンが等身大で書きました。お見苦しい点は多々あったと思いますし、自分で読み返しても恥ずかしい事もありますが、そのまま『ふーん』と受け取って頂けると幸いです。そして、誰かひとりでも参考になったと思って貰えたら、とても幸せです。

 

おわり。

 

 

 

亭主元気で留守がいい話

 

皆さん、こんばんわ。

平成最後の年の瀬を皆さん忙しく過ごされてる事かと思います。体調などお気をつけ下さい。

 

さて、私の育児休業も終わりを迎えつつあります。ここ最近、否が応にもこの半年を振り返る事が多くなりました。

 

まだ育休は終わっていないので、総合的に振り返るのは年明けにするとして、今日はこのテーマについて記事を書いていきたいと思います。

 

『亭主元気で留守がいい』という定説

 

ネットの育児ブログ記事には『旦那の育休不要論』も少なく無いですし、また、育休取得に反対だった母親と親戚には『旦那が家にいるというだけでストレス』という格言も頂きました。どうやら、旦那がずっと家にいるという事は一般的には歓迎されてないようです(悲)。

 

少し私のブログを振り返ってみると、そもそも、私が育休を取得する目的のひとつが、育児や家庭というフィールドで『邪魔もの扱いされない(イライラされない)旦那(父親)』になる事でした。

 

私にとっては、この『亭主元気で留守がいい』と言う使い古された定説は、『邪魔』の意味合いが含まれてるという点で、育休を取った私としては認めるわけにはいかない、あるいは覆したい『常識』の1つでした。

 

しかしながら、半年間の育休が終わろうとする私は、この『亭主元気で留守がいい』は一理ある話で、真っ向から否定はできない気がしています

 

3ヶ月までと3ヶ月以降の違い

 

私が何故そう思うようになったのかというお話の前に、ストーリーを分かりやすくする為に、育児休業を時間軸で整理したいと思います。

 

育休には最初の3ヶ月3ヶ月以降という主に2つのフェーズがあったように思います。

 

最初の3ヶ月は、一言で言えば『生存(サバイバル)のための協働』でした。パパの家事レベルが低くても、人手の『必要性』のある時期だったと言えるでしょう。

この頃は心身の疲弊と余裕の無さ、慣れない育児やらで、どうしたって機嫌も悪くなります。お互いにイライラしたこともありましたが、根本的な原因は余裕の無さにあったと思いますし、『旦那は必要ない』という雰囲気ではありませんでした。

 

3ヶ月以降は、『巡航速度に到達する』とでも、言いましょうか、とにかく日々を生き抜くのに必死という状況から脱して余裕が生まれ、『さぁ育児やるぞ』というエネルギーが出てくる時期でした。

この頃の夫婦のすれ違いは、最初の3ヶ月とは異なり、疲労とか余裕の無さ以外に、何か具体的な理由のある感じなのです。

誤解を恐れず申し上げると、3ヶ月を過ぎて以降、妻から発せられる『早く仕事いって欲しいオーラ』は日に日に増して行った気がしています。

 

それは一体何故だったのか、私なりに考えてみました。

 

二人三脚の難しさ

 

昔、運動会で二人三脚の競技をやりましたよね。結論から言えば、あの難しさに似ている気がします。

 

歩き方、身長、歩幅、ペースが合わなくて、上手に走れる生徒は相棒にフラストレーションを溜め、上手く出来ない生徒は惨めな感じになります。

 

3ヶ月以降は、家事も育児も軌道に乗りつつあって、極端に言えばママ1人でも何とか出来るようになっていたし、パパがずっと家にいる『必要性』は徐々に低下してゆくのです。

 

こうなってくると、二人で1つのことをやる難しさが出てきます。

 

家事にしても育児にしても、お互いのペースが違ったりするし、何か1つの事をするにも相手の確認を取ったり、自分のタイミングじゃなかったり、気を遣いあったりする場面が多くなるんですよね。

 

仕事でも、『一人でやった方が早い』とか、『周りに頼むと面倒』とか思ったことありますよね。あれと殆ど同じ現象だと思います。1人の方が気楽な事があるのです。

 

更にやっかいなのが、パパ(私)が、不器用なクセにそれなりにヤル気を見せようと頑張ろうとした事です。半年も育休をとっている私はヤル気だけは一流で、カッコつけるんですけど、空回りする事や、飽きてしまって集中力を欠くことも多々あり。

私の想像ですが、妻は半分呆れながら私に家事や育児をさせてくれていたのでは無いでしょうか(苦笑)

 

妻にしてみれば、自分のペースで出来なくて、さぞ『面倒くさかった』でしょう。そりゃ、早く仕事いけよ、と思いますよね。。 

 

パパの育児における『必要性』

 

3ヶ月まではパパの育休は『必要性』が高い、それ以降は『必要性』が低くなっていく。

 

それが私の正直な実感です。

 

更に、こうした事に加えて、以前のエントリで書いたように、2人でいるからこそのデメリット*1もあります。

 

3ヶ月以降は、例えば時短とか、半日勤務とか、週3勤務とかで、『必要』な時だけ育児参加するのが良いバランスだったのかもしれません。*2

 

その意味で、『亭主元気で留守がいい』というのは一理あるのかなと。ずーっと留守は困るけど、たまに帰ってくる位がお互いの為に良いね、というニュアンスであれば、納得出来る話です。 

 

お母さんと親戚は正しかった。亭主は元気で留守が良いこともあると、今の私には認めることができます。

 

『必要』か『不必要』かではなくて

 

ただ、男性の育休を『必要性』だけで捉えるのは、少し寂しいと私は考えています。*3

 

確かに、私が家事をしなくても、育児参加しなくても、毎日の生活は破綻しなかったと思います。

 

でも、お陰で私は息子の成長を見届けることが出来ているし、そればかりではなく、息子がどんな人たちに囲まれて育っていくのかを知ることが出来ました。

 

3ヶ月以降は、地域で開催される『子育てイベント』には沢山参加しました。絵本の講座や、離乳食講座、抱っこ講座や、発達や成長の講座、ハロウィンやクリスマスイベントなどなど。

それ以外でも子育てを支援してくれる施設、例えば児童館とか、地元のおばあちゃん達が運営する古民家でやってる支援施設にも通いました。*4

そうした事を通じて、地域のお医者さんや助産師さん、同級生になる子どものママたち、子育て支援施設の方々等とも知り合いになれました。

 

一見、こうした事はそれこそママの領分で、パパが知る『必要性』が無いように思えるし、大抵の男性は興味がない(気乗りしない)かもしれません。

 

でも、本やインターネットで育児を勉強するより、俄然育児に興味が出てきます。もっと良いのは、地域の環境や育児について夫婦で共通のイメージを持てることです。

 

例えば、『児童館で遊んできた』と妻が話をしてくれたら、私は具体的に息子がどんな場所で、どんな人たちに囲まれてその日を過ごしたのか具体的にイメージ出来ます。これは、私にとってはとても大切な経験値でした。

 

だからこそ、私の妻はついに最後の最後まで『早く仕事いけば?』と口にする事なく、半年間も耐えてくれたのだと私は思っています(笑)

 

 

確かに、亭主は元気で留守が良いというのは一理あるし、男性の育休取得は『生活の維持』には必要ないのかもしれません。でも、私が育休という機会で得たこうした経験は一人の親として『不必要』なことでは無かったと思いたいです。

 

 

 

さて、年明けには私の育休体験を総決算して、このブログを終わりにしたいと思います。

 

ブログを書きはじめた時は、簡単に書けるだろうと思っていたのですが、実は結構苦労をしていました。言いたいことや伝えたいことは沢山あるけれど、言葉にしよう、文字にしようとすると、とても難しくて、途中で放り投げようと思ったこともありました。でも、沢山の方にメールやコメント、励ましを頂けたことで、ここまで続けることが出来ました。ありがとうございました。

 

次回が最後になりますが、最後までお付き合いください。

 

みなさま、よいお年を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:普通なら気がつかない相手の嫌な所を見つけてしまったり、お互いのイライラが更なる負の感情を引き出して増幅しあう現象

*2:そんなフレキシビリティーを持った働き方があるかどうかは別として。でも、働き方改革の意味するところは、こういうことだと思う。

*3:まぁ大見得切って育休取ったのですから、『やっぱり無駄でした』なんて言えません(笑)

*4:私の住む東京都調布市は行政の支援だけでなく、独立開業して子育て支援サービスを提供してくれる地域の方が沢山いる。大変ありがたいと思う。