育児休業を取得した理由〜前編〜
なぜ私が育児休業の取得を考えたのか、ご紹介していきたいと思います。
『どうせ育休なんて取れないし』と言ったらそこで試合終了です。取れるかどうかより、まずは自分が取りたいかどうか、取る方が良いか悪いか、考えてみるだけやってみれば良いと思います。
さて、ここで重要なのは、世の中、育メンブーム、男性の育児参加は美徳という風潮がありますが、だからと言ってサラリーマン的には安易に判断はできないということです。
『自分の子どもの育児をするのに、すぐに判断できないというとは何だ!外国では男性の育児参加は常識だ!云々・・』と世のお母さんたちは怒るでしょうが、要は一般サラリーマン的には、『最もらしい理由』が必要だということです。
その、『最もらしい理由』を、一般的サラリーマンを自負する私がどんな感じで導き出したか、ご紹介したいと思います。
※『どうやって育児休業を取得できたか』はもう一つ先のステップですから、また別の機会に詳細を書きたいと思います。
判断要素
育児休業を取得するにあたって、幾つかの判断要素があったように思います。
- 個人的要素
- サラリーマン的要素(事情)
- 金銭的要素
- 家庭(夫婦)の要素
個人的要素
これは、私個人の気持ちの問題というところです。
妻の妊娠が安定期に入った頃、私はこう思いました。
『男性で育児休業を取得するって、今時っぽくてかっこよくない?』
男ってバカですね。要するに、自己顕示欲です。
『あの人、先進的な人ね!いい旦那さんね!』とか言われて、認められたいのです。
私の持論ですが、男子が頑張る理由は15歳から変わらず、『モテたい』たい、その一心なのです。(そうじゃない方、すみません。)
そして、浅はかにも、内心こうも思いました。
『合法的に長期間仕事やんなくていいじゃん。ラッキー。』
返す返すも残念な発想です。
大人の男がこんな小学生みたいなこと考えるなんて、自分でも呆れます。。
でも、内心確かにそう思いましたし、多くの男性が同じこと頭をかすめるのではないでしょうか。(この考えは甘かったと後々痛感するのですが。)
上記2つの個人的な感情というのは、褒められたものではありませんが、結果として育児休業取得を前進させる要素となりました。なので、あながち悪い理由ではないと思います。育児休業取得の決断に至れば、この際、理由の如何はなんでも良いのではないでしょうか。立派な理由なんて、最初から必要ないのです。
もう一つ、こんなことも思っていました。
『嫁さんばっかり赤ちゃんとイチャイチャするなんて、ズルい。』
バカっぽい表現ですが、マジでこう思いました。かっこよく言い直すと、『新生児期という貴重な機会を経験できないことは自分の人生において重大な機会損失である。』ということです。
一生に一度あるかないかの貴重な機会です。『またの機会に』ということはありません。この先、子育ては20年間続くわけで、父親としての自信をつけるという意味では、貴重な時間であることは想像に難くないと思います。
第一、ふにゃふにゃした赤ん坊、可愛いじゃないですか。
サラリーマン的要素(事情)
これは避けては通れないテーマです。
会社や仕事との折り合いというのは、育児休業を取得しない(出来ない)理由の大きな要因でもあり、強力な『言い訳』にもなります。(そうは言っても、仕事があるから。という言葉は妙な説得力があります。)
『どうやって育児休業を取得できたか』はもう一つ先のステップですから、また別の機会に詳細を書きたいと思いますので、もう少し個人的な事で考えたことを紹介したいと思います。
まず、私はこう思いました。
『一度、仕事から離れてみる事で、会社や仕事を見つめ直す事ができるのではないか。』
私は現在の会社に入社して8年が経過しました。色々な仕事を経験し、責任のある役割も背負う立場になりつつありますが、どうにもサラリーマンとしての手詰まり感がありました。
考えても見れば、育児休業というのは、サラリーマンが主体的に自分の生き方を選択できる数少ない機会でもあります。会社の命令で仕事内容は決まりますし、人事発令があれば、転勤、異動も基本的には拒むことは出来ません。有給休暇の消化についても、実は会社が休暇申請を却下することも可能です。
しかし、育児休業は、法律で取得する際の権利の保護を含めて定められたものですから、法的には(取得しにくい雰囲気ということは置いておいて)会社は本人の希望を拒否できません。つまり、サラリーマンが自分で自分の人生において重要な『キャリア』を主体的に選択できる機会でもあるわけです。
具体的に、自分のサラリーマン人生にどう活きてくるか分かりませんが、少なくとも現状に不満や不安があるけど、惰性的に会社から言われたとおりに従属的な人生を送るよりは、一人の大人として自己責任で決断してみようと思ったわけです。
さらに、もう一つこうも思いました。
『慣らし保育ならぬ、慣らしサラリーマンパパをやってみる。』
お子さんが居るキャリアウーマンも珍しくない昨今ですが、子どもがいるので早く帰ります、という男性サラリーマンって珍しいと思います。ですが、確実にこれから先、子どもが成長するにつれ、家庭と仕事をどう両立していくかというのは、サラリーマン人生において大きな課題になってくるはずです。
今のうちに、慣らしサラリーマンパパをやってみようと思ったのです。
ここで重要だったのは、退路を断つということでした。
退路とは、仕事です。仕事に逃げずに、ブートキャンプ(育児休業)に入ってやらないと、『仕事だからしょうがないじゃん。』という蜜のような言葉が私の決断を鈍らせ、中途半端な育児参加をする事になってしまうと考えたのです。
ただ、デメリットも頭をかすめます。
『しか>も。仕事(キャリア)と育児の時間軸の違いを発見する。』
育児休業のデメリットとしてよく言われるのが、キャリア面のデメリットです。
長期間仕事を開けることで、閑職に追いやられる可能性や、やりがいのあるプロジェクトから外されることを恐れるということがあると思います。
このことは、私にとっても頭の痛いことでした。私の上司は私の特性ややりたい事を最大限汲み取ってくれていて、わざわざポジションまで用意してくれていました。
いよいよ仕事が面白くなってきそうなタイミングではあったのです。
ここで、私は重大な事を発見しました。
仕事と育児で流れる時間の早さや1秒の重みは等しくないのです。
仕事を半年開けるというと、これは一大事です。誰でもイメージが出来ると思います。
他方、育児で考えると、生後半年の赤ん坊はせいぜいハイハイを始めるタイミングなのです。
つまり、仕事を軸に考えると、半年は、『半年も』と表現され、育児で考えると『半年しか』と、表現が異なってくるのです。
そう、自分は半年『しか』育児に専念しないのです。
さらに、仕事を半年『も』空けることになりますが、巻き返すことができるかもしれない。一方で、生後6ヶ月の期間は不可逆的な時間なのです。
総合的に考えて、私にとっての時間の重みは『しか』>『も』と感じられました。
これに気がついて、私の気持ちは一気に育児休業取得に向きました。
そして、このブログのテーマでもあることに行き着きます。
『その立場にならないと、その人の気持ちは分からない。』
私たち夫婦が妊娠・出産に至るまでは色々なことがありました。(このことはまた別の機会に紹介します。)
この時点で、すでに私は『生命』を生み出す妊娠〜出産〜育児という営みは、その人の置かれた社会的立場だけでなく、健康状態、精神状態に常に左右されるということを痛感していました。また、一般的に定義され、文字で表現されている肉体的・精神的な負担や辛さを超える部分があるということも理解していました。
数年前の私が、妊婦さんに優先座席を譲った時の、『大丈夫ですか』と、今現在『大丈夫ですか』の言葉に含まれる意味は全く変わっていました。
つまり、私が妊婦の旦那であるという実体験を得たことで、見え方が完全に変わっていたのです。
きっと、妊娠・出産と同じか、あるいはそれ以上のことが育児にはあるはずだ、と想像することは、私にとっては難くないことでもありました。
これから先、仕事をしていく上で、同僚が同じ立場になった時、私がかけられる言葉に意味や共感を持たせるために、私自身も育児経験を積むことは、将来、損にはならないのではないか、綺麗ごとかもしれませんが、そんな気持ちがあったことも事実でした。
(続く)