あしながおじさんの育児休業ブログ

とある平凡なサラリーマン新米パパ(東京都調布市在住)の育児休業体験の記録です。これから育休を取ろうと思っている男性はもちろん、奥さんの参考になれば嬉しいです。

亭主元気で留守がいい話

 

皆さん、こんばんわ。

平成最後の年の瀬を皆さん忙しく過ごされてる事かと思います。体調などお気をつけ下さい。

 

さて、私の育児休業も終わりを迎えつつあります。ここ最近、否が応にもこの半年を振り返る事が多くなりました。

 

まだ育休は終わっていないので、総合的に振り返るのは年明けにするとして、今日はこのテーマについて記事を書いていきたいと思います。

 

『亭主元気で留守がいい』という定説

 

ネットの育児ブログ記事には『旦那の育休不要論』も少なく無いですし、また、育休取得に反対だった母親と親戚には『旦那が家にいるというだけでストレス』という格言も頂きました。どうやら、旦那がずっと家にいるという事は一般的には歓迎されてないようです(悲)。

 

少し私のブログを振り返ってみると、そもそも、私が育休を取得する目的のひとつが、育児や家庭というフィールドで『邪魔もの扱いされない(イライラされない)旦那(父親)』になる事でした。

 

私にとっては、この『亭主元気で留守がいい』と言う使い古された定説は、『邪魔』の意味合いが含まれてるという点で、育休を取った私としては認めるわけにはいかない、あるいは覆したい『常識』の1つでした。

 

しかしながら、半年間の育休が終わろうとする私は、この『亭主元気で留守がいい』は一理ある話で、真っ向から否定はできない気がしています

 

3ヶ月までと3ヶ月以降の違い

 

私が何故そう思うようになったのかというお話の前に、ストーリーを分かりやすくする為に、育児休業を時間軸で整理したいと思います。

 

育休には最初の3ヶ月3ヶ月以降という主に2つのフェーズがあったように思います。

 

最初の3ヶ月は、一言で言えば『生存(サバイバル)のための協働』でした。パパの家事レベルが低くても、人手の『必要性』のある時期だったと言えるでしょう。

この頃は心身の疲弊と余裕の無さ、慣れない育児やらで、どうしたって機嫌も悪くなります。お互いにイライラしたこともありましたが、根本的な原因は余裕の無さにあったと思いますし、『旦那は必要ない』という雰囲気ではありませんでした。

 

3ヶ月以降は、『巡航速度に到達する』とでも、言いましょうか、とにかく日々を生き抜くのに必死という状況から脱して余裕が生まれ、『さぁ育児やるぞ』というエネルギーが出てくる時期でした。

この頃の夫婦のすれ違いは、最初の3ヶ月とは異なり、疲労とか余裕の無さ以外に、何か具体的な理由のある感じなのです。

誤解を恐れず申し上げると、3ヶ月を過ぎて以降、妻から発せられる『早く仕事いって欲しいオーラ』は日に日に増して行った気がしています。

 

それは一体何故だったのか、私なりに考えてみました。

 

二人三脚の難しさ

 

昔、運動会で二人三脚の競技をやりましたよね。結論から言えば、あの難しさに似ている気がします。

 

歩き方、身長、歩幅、ペースが合わなくて、上手に走れる生徒は相棒にフラストレーションを溜め、上手く出来ない生徒は惨めな感じになります。

 

3ヶ月以降は、家事も育児も軌道に乗りつつあって、極端に言えばママ1人でも何とか出来るようになっていたし、パパがずっと家にいる『必要性』は徐々に低下してゆくのです。

 

こうなってくると、二人で1つのことをやる難しさが出てきます。

 

家事にしても育児にしても、お互いのペースが違ったりするし、何か1つの事をするにも相手の確認を取ったり、自分のタイミングじゃなかったり、気を遣いあったりする場面が多くなるんですよね。

 

仕事でも、『一人でやった方が早い』とか、『周りに頼むと面倒』とか思ったことありますよね。あれと殆ど同じ現象だと思います。1人の方が気楽な事があるのです。

 

更にやっかいなのが、パパ(私)が、不器用なクセにそれなりにヤル気を見せようと頑張ろうとした事です。半年も育休をとっている私はヤル気だけは一流で、カッコつけるんですけど、空回りする事や、飽きてしまって集中力を欠くことも多々あり。

私の想像ですが、妻は半分呆れながら私に家事や育児をさせてくれていたのでは無いでしょうか(苦笑)

 

妻にしてみれば、自分のペースで出来なくて、さぞ『面倒くさかった』でしょう。そりゃ、早く仕事いけよ、と思いますよね。。 

 

パパの育児における『必要性』

 

3ヶ月まではパパの育休は『必要性』が高い、それ以降は『必要性』が低くなっていく。

 

それが私の正直な実感です。

 

更に、こうした事に加えて、以前のエントリで書いたように、2人でいるからこそのデメリット*1もあります。

 

3ヶ月以降は、例えば時短とか、半日勤務とか、週3勤務とかで、『必要』な時だけ育児参加するのが良いバランスだったのかもしれません。*2

 

その意味で、『亭主元気で留守がいい』というのは一理あるのかなと。ずーっと留守は困るけど、たまに帰ってくる位がお互いの為に良いね、というニュアンスであれば、納得出来る話です。 

 

お母さんと親戚は正しかった。亭主は元気で留守が良いこともあると、今の私には認めることができます。

 

『必要』か『不必要』かではなくて

 

ただ、男性の育休を『必要性』だけで捉えるのは、少し寂しいと私は考えています。*3

 

確かに、私が家事をしなくても、育児参加しなくても、毎日の生活は破綻しなかったと思います。

 

でも、お陰で私は息子の成長を見届けることが出来ているし、そればかりではなく、息子がどんな人たちに囲まれて育っていくのかを知ることが出来ました。

 

3ヶ月以降は、地域で開催される『子育てイベント』には沢山参加しました。絵本の講座や、離乳食講座、抱っこ講座や、発達や成長の講座、ハロウィンやクリスマスイベントなどなど。

それ以外でも子育てを支援してくれる施設、例えば児童館とか、地元のおばあちゃん達が運営する古民家でやってる支援施設にも通いました。*4

そうした事を通じて、地域のお医者さんや助産師さん、同級生になる子どものママたち、子育て支援施設の方々等とも知り合いになれました。

 

一見、こうした事はそれこそママの領分で、パパが知る『必要性』が無いように思えるし、大抵の男性は興味がない(気乗りしない)かもしれません。

 

でも、本やインターネットで育児を勉強するより、俄然育児に興味が出てきます。もっと良いのは、地域の環境や育児について夫婦で共通のイメージを持てることです。

 

例えば、『児童館で遊んできた』と妻が話をしてくれたら、私は具体的に息子がどんな場所で、どんな人たちに囲まれてその日を過ごしたのか具体的にイメージ出来ます。これは、私にとってはとても大切な経験値でした。

 

だからこそ、私の妻はついに最後の最後まで『早く仕事いけば?』と口にする事なく、半年間も耐えてくれたのだと私は思っています(笑)

 

 

確かに、亭主は元気で留守が良いというのは一理あるし、男性の育休取得は『生活の維持』には必要ないのかもしれません。でも、私が育休という機会で得たこうした経験は一人の親として『不必要』なことでは無かったと思いたいです。

 

 

 

さて、年明けには私の育休体験を総決算して、このブログを終わりにしたいと思います。

 

ブログを書きはじめた時は、簡単に書けるだろうと思っていたのですが、実は結構苦労をしていました。言いたいことや伝えたいことは沢山あるけれど、言葉にしよう、文字にしようとすると、とても難しくて、途中で放り投げようと思ったこともありました。でも、沢山の方にメールやコメント、励ましを頂けたことで、ここまで続けることが出来ました。ありがとうございました。

 

次回が最後になりますが、最後までお付き合いください。

 

みなさま、よいお年を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:普通なら気がつかない相手の嫌な所を見つけてしまったり、お互いのイライラが更なる負の感情を引き出して増幅しあう現象

*2:そんなフレキシビリティーを持った働き方があるかどうかは別として。でも、働き方改革の意味するところは、こういうことだと思う。

*3:まぁ大見得切って育休取ったのですから、『やっぱり無駄でした』なんて言えません(笑)

*4:私の住む東京都調布市は行政の支援だけでなく、独立開業して子育て支援サービスを提供してくれる地域の方が沢山いる。大変ありがたいと思う。